幕末トラベラーズ

山口・湯田温泉の史跡

毛利家墓所(香山公園)
(もうりけぼしょ・こうざんこうえん)

山口市香山町

香山公園は山口市街地の北方に位置し、五重塔(国宝)で有名な瑠璃光寺の境内をなしている。瑠璃光寺本堂に隣接して毛利家墓所がある。

この香山公園の墓所には、幕末時の藩主であった毛利敬親とその世子・元徳、および元徳の長子・元昭の墓がある。

(長州藩の藩祖である毛利輝元以下江戸時代の藩主たちの墓は萩市に、また毛利元就の墓は広島県安芸高田市にある)

毛利家墓所(香山公園)

香山公園の墓所には、幕末時の藩主であった毛利敬親(もうりたかちか)と夫人妙子、敬親の世子(世継ぎ)であった元徳(もとのり)と夫人安子、および元徳の長子・元昭(もとあきら)と夫人美佐子の墓がある。

毛利敬親は長州藩の第13代藩主。薩摩藩の島津齋彬・島津久光、また土佐藩の山内容堂のように政局の表舞台に立つことはなかったが、幕末の難局にあって有為な人材を登用し、混乱の極にあった長州藩をうまくまとめて、結果的に倒幕・維新の主役にみちびいた功績が今日では評価されている。(→毛利敬親については、亀山公園(毛利敬親像)もご覧ください)

毛利元徳(最初は定広)は敬親の養子で14代藩主である。といっても家督を継いで藩主になったのは廃藩置県前の明治2年31歳のときであり最後の長州藩主となった。毛利輝元直系である徳山毛利家の出身。幕末期には敬親を助けて藩政を監督した。明治2年の版籍奉還で山口藩知事となり、明治4年の廃藩置県後は東京に移住した。

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(毛利家墓所には、幕末期の藩主であった毛利敬親と世子・元徳、元徳の子・元昭の3代の夫妻の墓が並んでいる)

(墓石の説明板)

(「うぐいす張りの石畳」は手をたたくと、複数の反響音が干渉して面白い音色となるようである)

(明治天皇が毛利敬親の功績を記念して造らせた勅撰銅碑)

(勅撰銅碑の説明板)

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