幕末トラベラーズ

多摩(新選組のふるさと)の史跡

龍源寺(近藤勇墓所)
(りゅうげんじ)

龍源寺
三鷹市大沢

近藤勇の墓所。板橋で処刑された近藤の遺骸はここに葬られている。龍源寺は近藤勇の生家である宮川家の菩提寺。嘉永2年(1849年)に剣の師匠の近藤周助から授与された目録が保存されている。

龍源寺(近藤勇墓所)

下総(千葉県)・流山で新政府軍に出頭し捕らえられた近藤勇は板橋宿に連行された。そして慶応4年(1868年)4月25日、宿場はずれの一里塚にて斬首された。首は京都に送られ、三条河原でさらされた。4年前に新選組が勇名を馳せた池田屋のすぐ近くである。

かつての尊王攘夷派を苦しめた新選組の首領に対し、薩摩藩は穏便な処置を求めたが、当時坂本龍馬・中岡慎太郎を新選組に暗殺されたと信じていた土佐藩士ら、ことに坂本龍馬を尊敬していた谷干城(たにたてき/かんじょう)らは強硬な処分を主張した。斬首のうえ首をわざわざ京都まで運んでさらすなどという断罪の方法は彼らの強い復讐心の現れであろう。

近藤の身体のほうは滝野川の墓地に埋葬されていたのを、近藤の娘婿である近藤勇五郎らが肩の鉄砲傷跡を目印に掘り起こして、近藤の菩提寺であるここ龍源寺に葬ったとされる。首の行方については不明である。享年35。

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(人見街道沿いにある龍源寺。龍源寺は近藤勇の生家である宮川家の菩提寺)

(門柱の左側に近藤勇の墓所であることを示す標石や記念碑が立てられている)

(三鷹市剣道連盟による祈念碑)

(右から二番目が近藤勇の墓石。娘婿・勇五郎ら縁者の墓もある)

(三鷹市による説明板)

(門前にたたずむ胸像)

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