下関(関門地区)の史跡
高杉晋作終焉の地
(たかすぎしんさくしゅうえんのち)
労咳(肺結核)を重くしていた高杉晋作は、林算九郎宅の離れ屋敷で息をひきとった。辞世の「おもしろきこともなき世をおもしろく…」は、高杉の人生観とその凝縮された生涯がみごとに表されたものとして有名。
高杉晋作終焉の地
高杉は労咳で体調が悪化しているのをおして、第二次長州征伐で戦い、小倉城を落とし幕府軍を駆逐した。その勝利の見返りとしてさらに寿命を縮めてしまったのだろう。医者のすすめで、慶応2年(1866年)の秋に、招魂場がある桜山のふもとの小さな家屋に転居し、愛人おうのの看病のもと療養生活にはいった。
のち下関の町中にある林算九郎
死の直前に高杉は筆と紙を求め、「おもしろきこともなき世をおもしろく」と書きかけたが、力が尽きて後が続かずにいたところ、そばにいた歌人・野村望東尼
高杉の遺骸は遺言に基づいて、奇兵隊の本営があった吉田に埋葬され、墓地周辺は「東行庵
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(国道191号から1つ道をはいったところに、高杉が最期を迎えた宅跡がある)
史跡マップ
