下関(関門地区)の史跡
桜山神社
(さくらやまじんじゃ)
桜山招魂場(桜山神社)は、長州藩のために命を捧げた人々の慰霊のために、高杉晋作が提言し元治元年(1864年)1月に創建された。慶応元年(1865年)8月には社殿が完成し、日本初の招魂社として歴史に名を刻んでいる。
桜山神社
吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、山県有朋らの招魂慰霊塔が整然と建ち並び、396柱の国事に殉難した霊を祀っている。中央の松陰の塔だけが少しだけ高く、あとは身分の差なく、すべて同じ高さにそろっているのが特徴。
この桜山招魂場が原型となって、明治2年(1869年)には幕末維新に殉じた志士たちを慰霊する東京招魂社が東京・九段に設立され、同社は1879年(明治12年)に改称されて靖國神社となった。
こうした招魂社は通常の神社と違い、国家のために命を落とした戦死者たちひとりひとりを「神(英霊)」として祀っている(桜山招魂場の場合は長州藩のために殉難した者を祭祀する)。
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(高杉晋作が首唱し創建された桜山招魂社(桜山神社))
(奇兵隊の調練場だった桜山。現在は神社前を山陽本線が通る(奥行き方向が下関駅方面))
(京都の政変(八月十八日の政変)で都落ちし、長州に逃れてきた攘夷派公家七卿の史跡碑。このうち三条実美ら五卿が元治元年(1864年)3月に桜山招魂場を訪ねた)
(社殿)
(お龍も桜山招魂社とつながりがあったことを示すエピソード)
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