グラバー園
日本が開国するといち早く来日し(1859年)、長崎にグラバー商会を設立して貿易業を営み、幕末史に大きな影響を与えた(とくに倒幕側の力となった)、スコットランド出身のトーマス・グラバーの邸宅。
トーマス・ブレーク・グラバー(1838年〜1911年(明治44年))は、スコットランド出身で、沿岸警備隊航海士の子として誕生。21歳のときに来日し、長崎に「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店としてグラバー商会を設立。茶や生糸などの貿易業務に従事した。
攘夷運動が転じて、倒幕の機運が高まってくると、薩摩、長州、土佐などの雄藩を支援し、武器を調達することで利益を上げた。伊藤博文や井上馨
明治維新後、戦乱が終息すると、グラバー商会は倒産。以後は高島炭坑の経営や三菱財閥の相談役として活動し、日本国内で一生を終えた。また、キリンビールの設立にも大きな役割を演じた(現在のキリンビールの「麒麟」ラベルは、グラバーの発案によるものという)。
(大浦天主堂正面から右方向への上り坂を進むと、ほどなくグラバー園入口が見える。入場すると、動く歩道で、まず旧三菱第2ドックハウスまで登り、後は園内を歩きながら下っていく。グラバー邸は最後に見学というルートが一般的)
(グラバー園の最も高い場所に建つ旧三菱第2ドックハウス。ドックハウスとは、船が修理などのためにドック入りしているときに、船員たちが宿泊する施設)
(旧三菱第2ドックハウスからの眺め。湾の対岸に三菱重工長崎造船所が一望できる。明治以降の長崎の発展は三菱が支えてきた。長崎市は三菱の企業城下町ともいわれる)
(左(低い段):旧ウォーカー住宅、右:旧長崎地方裁判所長官舎)
(旧リンガー住宅。フレデリック・リンガーは、最初グラバー商会に勤め、のちホーム・リンガー商会を設立して、貿易業や長崎の上水道建設、「ナガサキ・ホテル」などの建築に携わった)
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