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出島跡
(でじまあと)
出島は、鎖国により原則的に他国との交流を絶った江戸幕府が、外国人の居住地を1箇所に限定するため、寛永13年(1634年)に長崎のこの地に建設した扇形の人工島。
現在は、国指定史跡「出島和蘭商館跡」として、当時の建物などが復元・公開されている。
出島跡
幕府は、最初ポルトガル人を出島に住まわせたが、1639年禁教令を出してポルトガル人を追放すると、出島は一時無人島となった。
その後、平戸にあったオランダ東インド会社の商館が出島に移され(1641年)、出島は幕末までオランダ人の居住区となった。オランダ人は厳重な監視下におかれ、ごく一部の例外(商館長の江戸参府や諏訪神社の祭礼の日など)を除いて、外に出ることは許されなかった。逆に出島の中に入れる限られた日本人は、遊女、勧進僧、商館御用達の商人、家屋の修理を行う職人、荷物運びの人足たちだった。
出島の面積は約1.5ヘクタール、サッカーグランド2面分ほどの広さである。
ペリー来航後、日米和親条約に続いて1855年に日蘭和親条約が結ばれると、オランダ人は自由に長崎の町に出られるようになり、出島はなんら特別な場所ではなくなった。明治以降、周囲の埋め立てが進み、元の扇形がわからなくなったが、現在長崎市によって幕末以前の出島の完全復元作業が進められている。
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(現在も復元作業が進められている出島)
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