京都の史跡
新徳禅寺
(しんとくぜんじ)
新徳禅寺
尊皇攘夷の志をもつ出羽国庄内藩出身の清河八郎は、将軍家茂の上洛にさいしこれを警護するための「浪士組」を結成し230名余を率いて京都にのぼった。京都到着の夜、清河は新徳禅寺に集合した浪士組の面々に対し、「我々が真に為すべきは、(上洛する将軍の警護ではなく)江戸に戻って攘夷運動に身を投ずることである」と述べた。清河の熱弁にうたれた200名はこれに賛同、翌日清河は朝廷に建白書を提出することに成功した。
浪士組の構成員のうち、清河に反発した芹沢鴨、近藤勇、土方歳三らは京都に残留し、24名が新たに浪士組(壬生
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(坊城通りに面した新徳禅寺門前。この新徳禅寺で、200人以上の浪士組を前に清河八郎が演説を行った)
(壬生寺の門前から見た新徳禅寺(白壁の内側))
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