京都の史跡
楢崎家(お龍実家)跡
(ならさきけあと)
楢崎家(お龍実家)跡
父将作が存命の頃は裕福で、お龍は家事をすることもなく稽古事に励みながら年少期をすごした。しかし文久2年(1862年)父が病死したあとは一家は生活に困り、お龍は七条新地の旅館で働くようになった。
母・貞が、土佐藩尊攘派の脱藩浪士たちの集う隠れ家で賄い仕事についた縁で、龍馬とお龍の出会いにつながったといわれる。
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(柳馬場通りを四条通りから上がっていくと、三条通りの手前に楢崎家の実家跡がある)
(碑の立つ場所は居酒屋となっている)
史跡マップ
