京都の史跡
桂小五郎寓居跡
(かつらこごろうぐうきょあと)
桂小五郎とその恋人の芸妓・幾松が暮らした場所。現在は旅館・料亭「幾松」となっている。
長州藩が京都を追われ、藩士すべてが幕府のお尋ね者となった危険な時期、幾松は命がけで小五郎をサポートした。乞食に変装して鴨川の川縁に潜んでいた小五郎に、橋の上からにぎりめしを落としたという逸話も残っている。
桂小五郎寓居跡
幾松は、小浜藩士・木崎市兵衛の娘(名は計子)として生まれたが、父が家族を捨てて京都に出てしまったため、他家の養女となった。三本木で舞子デビューした計子は器量・芸事にすぐれ、やがて芸妓・幾松を襲名した。
文久2年(1862年)ころに、長州藩士・桂小五郎と知り合った。文久3年(1863年)の政変、そして翌元治元年(1864年)の禁門の変を経て、長州藩は完全に幕府の敵となる。幾松は、長州藩士というだけで殺されかねない危険な状況のなかで政治活動を続ける桂を、命をはって助けつづけた。のち、幾松は桂と結婚し木戸松子となる。
現在の「幾松」には、桂の身をかくしたという長持ちや、抜け穴や釣り天井など、敵の目をくらますための仕掛けが今も残されている。
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PHOTO
(料亭「幾松」は木屋町通りから奥まったところに玄関がある)
(「有形文化財」の登録票)
(れんが色の建物は、「幾松」の別館「維新庵」。リーズナブルな料金で料亭の味が楽しめる)
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