京都の史跡
蛤御門
(はまぐりごもん)
蛤御門
尊皇攘夷運動の中心的存在だった長州藩は、文久3年(1863年)8月の政変で京都を追放されて以来、復活のチャンスをうかがっていたが、翌元治元年(1864年)6月に池田屋事件が起こり尊攘志士が多数死傷させられたため、久坂玄瑞
軍を率いた長州勢は、天皇に対し藩主のえん罪を晴らし長州の復権を願うべく嘆願を出したが事態は進展しなかった。このうえは前年に政変を起こし長州を朝廷から遠ざけた張本人の薩摩・会津勢を力ずくで排除してでも参内すべしと強硬に御所に接近、ついに薩摩・会津・桑名藩ら御所警備の藩兵たちと衝突した(禁門の変)。元治元年(1864年)7月19日のことである。
長州藩家老・国司信濃
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(烏丸
(禁門の変の激戦地となった蛤御門)
(門柱にも弾痕らしき穴が多数開いているが、明らかに禁門の変のときにできた弾痕は門の梁の部分にあるという)
(門の内側から)
史跡マップ
