幕末トラベラーズ

京都の史跡

猿ヶ辻
(さるがつじ)

京都市上京区京都御苑

攘夷派の公家・姉小路公知が暗殺された場所。犯人は薩摩藩・田中新兵衛ではないかとされるが定かではない。

猿ヶ辻

三条実美とともに攘夷派公家の筆頭格だった姉小路公知(あねこうじきんとも)は、文久3年5月20日(1863年7月5日)、御所内裏の東北角にあたる猿ヶ辻あたりで襲撃され、命を落とした。現場に残されていた薩摩鍛冶の刀などから、薩摩藩の田中新兵衛(たなかしんべえ)が暗殺の容疑者として捕らえられたが、新兵衛は拘留中に自殺。真相は不明のままである。

現場は、御所の九門(現在の京都御苑の外周にある9つの門)の内部であり、暗殺者がどのように侵入したか、なぜ遺留品を残していったかなども謎である。薩摩の進出を妨害することを目的とした勢力(=長州藩)の陰謀という説もある。薩摩藩はこの後、乾門の警備担当からはずされた。

姉小路公知は、勝海舟の影響によって攘夷派から開国派に転じ、そのために暗殺の標的となったとも言われている。

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(姉小路公知が襲われた猿ヶ辻。左は御所(禁裏)。現在では、諸藩の警備兵に代わって皇宮警察・京都護衛署の警備車両が巡回している)

(姉小路公知が襲われた猿ヶ辻)

(京都の鬼門(きもん)(東北の方角)にあたる比叡山には、王城鎮守の社寺として、日吉大社と延暦寺がある。その日吉大社のお使いが猿。御所の東北角は築地塀(ついじべい)が内側にへこんでいて、その軒下には鬼門よけの木彫りの猿がひそんでいる。この木彫りの猿は金網におおわれているが、その理由は夜な夜なこのあたりをうろついて通行人にいたずらをするからだそうだ)

(猿が辻に接する御所の東北角)

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