近江屋跡
(おうみやあと)
坂本龍馬が暗殺された場所。大政奉還の翌月、龍馬とその盟友・中岡慎太郎は、醤油商近江屋で、京都見廻組と思われる暗殺団に襲われた。
龍馬は額に致命傷を受けて落命、深手を負った中岡慎太郎も2日後に死亡した。
慶応3年11月15日(1867年12月10日)の夜、坂本龍馬と中岡慎太郎は醤油商・近江屋の2階で火鉢を囲んでいた。寺田屋襲撃事件から2年近く、幕府の敵として命をねらわれていた龍馬は、海援隊本部のあった酢屋からこの近江屋に移ったばかりだった。この日は風邪気味で、慎太郎とともに暖かい軍鶏鍋
いきなり致命傷を受けた龍馬はほとんど抵抗もできずにその場で絶命。2日後に死んだ中岡慎太郎の口から現場の様子が語られたが、結局真犯人は不明のままである。当時はもっぱら新選組が手を下したと見られていた。のち、戊辰戦争が終結したときに、官軍が新選組の大石鍬次郎を尋問して得られた供述によると、京都見廻組の佐々木只三郎
(坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた土佐藩御用達の醤油商・近江屋跡)
(現在の河原町通りをへだててすぐ向かい側に土佐藩邸があった。道路の先のほうに四条河原町交差点角に建っていた阪急百貨店がみえる)
(石碑の場所は同じだが、周辺の様子は変わっていく/令和2年1月
【写真提供:やまとなでしこ】)
(龍馬が暗殺された京都・近江屋の部屋を復元したもの (高知・坂本龍馬記念館))
