高知の史跡
平井収二郎・加尾誕生地
(ひらいしゅうじろう・かおたんじょうち)
平井収二郎・加尾誕生地
平井収二郎は龍馬と同い年で、年少のころからの親友、また一時期は同じ土佐勤王党仲間でもあった。妹の加尾もまた、龍馬の姉・乙女と一弦琴
加尾は龍馬の初恋の女性であったといわれる。しかし江戸に出た龍馬は、千葉道場の道場主である千葉定吉の長女・佐那
加尾の兄・平井収二郎は、まだ攘夷運動が盛んだった文久2年の暮れに、土佐藩(を尊皇攘夷に転換するため)の藩政改革を、朝廷から働きかけてもらおうと計り、間崎哲馬
土佐藩の最高実力者・山内容堂は英邁な人物であり、世情に応じた改革の必要性を感じてはいたが、元来は佐幕的な思考回路をもち、藩内においては下士を徹底的に差別する藩風の醸造者でもある。下士たちが勝手に朝廷と結びつき、策謀を巡らしていることを知った容堂は激怒し、土佐勤王党の活動を禁ずるとともに、収二郎を帰国させやがて投獄してしまった。そして文久3年(1863年)6月8日、平井、間崎、弘瀬はそろって切腹させられた。
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(土讃線脇に立つ平井兄妹の誕生地碑。なおNHK大河ドラマ「龍馬伝」で平井加尾を演じた広末涼子の出身校・高知市立城北中学校は、この先の線路沿いにあり、歩いても20分ほどの距離)
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