和気神社
(わけじんじゃ)
和気清麻呂は奈良時代の終わりころから活躍した朝廷の高官。ときに宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の神官が、「道鏡
そこで、称徳天皇はその神意を確認するために、和気清麻呂を宇佐神宮へ勅使として派遣した。神託は再度「道鏡を天皇にすべし」と出たが、清麻呂はこれを道鏡の陰謀であると見抜き、「臣が君になること未だなく、道鏡はよろしく除くべし」との神託であったと称徳天皇に伝え、天皇はこの報告を受け入れた。
天皇になる野望をくじかれた道鏡は激怒し、和気清麻呂を別部穢麻呂
なお、称徳天皇崩御後に道鏡は失脚。光仁天皇
(県道470号沿いに和気神社の入り口がある。(道は北から南方向)もう少し先へ行くと、犬飼の滝の滝見台が左側に見える)
(和気清麻呂と猪−−和気清麻呂の宇佐神宮への道中を猪が案内し、また足を痛めて難渋していたときに、猪が現れて清麻呂を霊泉に導き快癒させたり、という言い伝えがある。和気神社には狛犬の代わりに猪が社前を守護しており、また足腰の守り神としても信仰されている)
(神社拝殿)
(和気神社にも龍馬の「足跡」がある。ただし龍馬がこの地を訪れたときにはまだ神社は建っていない)
(道鏡によって和気清麻呂が配流されたのがこの地であったことを調べたのは島津斉彬。斉彬はその記念に松を手植えしたという(松はその後枯れ、代わりに楠が植えられている))
(和気神社由緒)
(江戸城(皇居)・大手濠端に立つ和気清麻呂像。清麻呂は天皇家にとくに功のあった人物として、皇紀紀元2600年(昭和15年)に記念事業のひとつとして建立された)
