京都(伏見)の史跡
御香宮神社
(ごこうのみやじんじゃ)
鳥羽伏見の戦いで、新政府軍(薩摩軍)の本営が置かれた神社。新政府軍は、旧幕勢力が立てこもった伏見奉行所に向けて大砲で連射したため、伏見奉行所は炎上し、旧幕府側は伏見から敗退した。
御香宮神社
薩摩軍は、当初伏見薩摩藩邸内に待機していたが、旧幕府の歩兵部隊、会津藩兵、新選組が伏見奉行所に集結するのを見て、本営を伏見奉行所からほど近い御香宮神社に移した。旧幕府側は戦力1500以上、対する新政府(薩摩)側はその半数ほどだったが、御香宮神社は伏見奉行所を見下ろすような位置にあり、薩摩軍が正確な砲撃を繰り返し加えたため、ついに伏見奉行所は焼け落ちた。
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(近鉄京都線・桃山御陵前から伏見城跡に通じる大手筋通り。御香宮神社の大鳥居が堂々とそびえ立つ。鳥居の左側の樹木が茂ったところは神社境内。南(右方向)にあった伏見奉行所よりも高台であり、新政府軍は効果的に砲撃することができた)
(豊臣家滅亡後、徳川家光の時代に伏見城は廃城となり、その遺構は二条城や福山城に移築された。この御香宮神社の表門は、伏見城の大手門を移築したもので、国の重要文化財に指定されている)
(表門から続く参道)
(神社拝殿)
(伏見の戦跡碑)
(伏見の戦跡碑)
(「伏見の戦跡」についての説明板)
史跡マップ
