横浜の史跡
田中家
(たなかや)
田中家
龍馬の妻・お龍(楢崎龍
そして、明治7年(1874年)ころに勝海舟の世話で、この神奈川宿の田中家で仲居として働くようになった。このころお龍は37歳くらいだったらしい。翌明治8年には、呉服商の息子だった西村松兵衛
頭がよく回り、気が強く派手な性格のお龍は、ひとつ所に落ち着き、(龍馬以外の)男に長く献身するということができなかったようだ。晩年はアルコール依存症となり、生活もすさんでいったらしい。横須賀で66歳の生涯を閉じている。
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(東京から国道1号線(第二京浜道路)を南下すると、JR横浜駅の600メートルほど手前、青木橋交差点を少し過ぎたところで細い道が右斜めに分岐している。この道が旧東海道)
(東海道に入ると、登り坂となる。このあたりは「袖ヶ浦」と呼ばれた風光明媚な海岸で、道の左側には、海を眺めながら休息できる茶店が軒を並べていたそうだ)
(袖ヶ浦の説明板。田中家はその昔は「さくらや」という名の茶店で、この広重の絵の中にも画かれている)
(もう少し登ると、お龍が働いていたという田中家が見えてくる)
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