横浜の史跡
神奈川台場跡
(かながわだいばあと)
神奈川台場跡
砲台は、幕府が伊予松山藩に命じて建設させ、設計は勝海舟が担当した。万延元年(1860年)に完成。明治32年(1899年)に廃止されるまで礼砲用として使用されていたという。現在は石垣の一部を残すのみ。
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(現在のJR貨物・東高島駅の北側、住宅地の一角に神奈川台場跡の碑がある)
(総面積は約2万6000平方メートルというから、サッカーグラウンド3面分ほどの広さがあった。台場は桟橋でつながった人工島で、桟橋に挟まれた中央の区域は船だまりとして利用された。石碑が立っているのは●印の地点)
(石碑の背後に残る台場の石垣。東高島駅の南側にも、外海側の石垣が一部残っている)
(台場は、東高島駅の操車場の線路になっている)
(碑の西側より)
史跡マップ
