横浜の史跡
成仏寺
(じょうぶつじ)
成仏寺は、永仁年間(鎌倉時代後期)に開かれた浄土宗の寺院。幕末期には外国人宣教師たちの宿舎となった。
ヘボン式ローマ字を創始したことで有名なアメリカ人宣教師・ジェームス・カーティス・ヘボンも、この成仏寺に滞在した。
成仏寺
安政5年(1858年)6月に日米修好通商条約が結ばれて横浜が開港すると、宣教師たちが続々と来日しはじめた。しかし当時はまだキリスト教は禁止されていた(外国人居留地で外国人の信教の自由は認められたが、日本人がキリスト教を信じることは禁じられたままだった。公式に禁教が解かれたのは明治6年(1873年)になってからである)。
そのため、彼らは医師や語学教師などとして日本での活動を始めた。アメリカ人宣教師のヘボンはニューヨークで開業医をしていたが、日本が開国したことを知ると、家屋敷も病院も売り払って妻とともに来日し、神奈川診療所を開設して日本人患者の治療を行った。のちに開いた男女共学のヘボン塾は、明治学院大学の前身となった。ヘボンはヘボン式ローマ字を考案したほか、日本最初の和英辞典「和英語林集成」を編纂したことでも知られる。
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(京浜急行本線(奥行き方向が横浜方面)の左側(南側)に成仏寺の本堂が見える)
(本堂の南側の門)
(成仏寺の本堂)
(安政6年(1859年)10月に到着した米国長老派教会のヘボンに続いて、オランダ改革派宣教師ブラウンが来日。翌万延元年(1860年)4月にはバプテスト派のゴーブルが来日し、この成仏寺を拠点として聖書の翻訳作業や教育活動などを行った)
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