江戸の史跡
水戸徳川家上屋敷跡(小石川後楽園)
(みととくがわけかみやしきあと)
現在の文京区後楽地区に、水戸徳川家の江戸上屋敷が広がっていた。現在の「小石川後楽園」は、初代藩主の徳川頼房(家康の11男)が屋敷内に築いた庭園を、子の光圀が中国風の趣を取り入れて完成させ、「後楽園」と命名したもの。
15代将軍となった徳川慶喜は、藩主・徳川斉昭の七男として、この江戸屋敷で誕生した。
水戸徳川家上屋敷跡(小石川後楽園)
小石川後楽園内の北端に、藤田東湖の碑(「藤田東湖先生護母致命之処」)がある。この碑は白山通りの拡張工事のため、もともとあった場所から庭園内に移された。(→藤田東湖碑跡)
徳川光圀は、明の遺臣・朱舜水の意見を取り入れ、『岳陽楼記』の「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ(先憂後楽)」から、江戸屋敷の庭園を「後楽園」と名づけた。
小石川後楽園は、国の「特別史跡」と「特別名勝」の両方の指定を受けている。この例は他に金閣寺、浜離宮などごく限られた箇所のみという。
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(小石川後楽園の入口。東にある正門は通常閉鎖されており、入口はこの1箇所のみ。JRの水道橋駅よりも飯田橋駅からの方が近い。最寄り駅は都営大江戸線の飯田橋駅)
(徳川光圀は江戸屋敷の庭園を「後楽園」と名づけたが、史跡・名勝指定のさい、岡山の後楽園と区別するため、「小石川」がつけられた)
(庭園内から、文京シビックセンター(左)、東京ドーム、東京ドームホテルが見える)
(庭園の東端にある「内庭」)
(「藤田東湖護母致命之処」碑。もとは白山通りの方にあったが、道路の拡幅工事のため、ここに移された)
(碑の裏面)
(小石川後楽園の北側の築地塀。このあたりの塀の内側に藤田東湖の碑がある)
史跡マップ
