江戸の史跡
講武所跡
(こうぶしょあと)
ペリー来航を機に幕府は、旗本・御家人・役人らを対象とした、剣術、砲術などの総合武術訓練施設「講武所」を設けた。教授陣には、勝海舟、大村益次郎らがいた。
現在は、日本大学法学部の学舎が建っている。
講武所跡
ペリー艦隊は、前年に引き続き、嘉永7年1月(1854年)に江戸湾に来航。幕府は米側の圧力に屈して3月に日米和親条約を結んだ。太平の世に慣れきって武芸のいろはも忘れてしまっているような旗本や御家人たちを対象に、築地に講武所(はじめ講武場)を設けたのが翌4月であるから、幕府の慌てぶりがわかる。当初は戦国時代さながらに弓や槍なども教えていたようだ。
安政4年(1857年)に、築地は軍艦操練所の用地となったために講武所は移転、万延2年(1861年)に新たに軍事訓練施設として当地に開設された。さらに明治後は陸軍の訓練場となった。
高島秋帆・下曽根信敦(ともに砲術)、大村益次郎・勝海舟(陸海軍)らのほか、男谷信友
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(日本大学法学部図書館の前に立つ講武所跡の説明板)
(右の建物が図書館。講武所は道の左側の広範囲に拡がっていた)
史跡マップ
