江戸の史跡
長州藩邸(長州藩下屋敷)跡
(ちょうしゅうはんていあと)
現在、東京ミッドタウン(六本木)のビル群がそびえ立つ長州藩下屋敷跡。屋敷の面積は3万3,300坪に及んだ。敷地には檜の大木が建ち並んでいたことから「檜屋敷」とも呼ばれていた。現在、当時の庭園の一部が檜町公園となっている(長州藩中屋敷も同じ敷地内にあった)。
この下屋敷麻布藩邸は、政治的には桜田藩邸(上屋敷)の補助的な機能を果たし、また上京中の藩主の別邸、藩士たちの寄宿所にもなった。
長州藩邸(長州藩下屋敷)跡
文久年間から何かと反幕的行動を取っていた長州藩は、元治元年(1864年)7月19日に、京都で起きた禁門の変でついに幕府側勢力と軍事的衝突にいたる。この結果、幕府−長州は完全に敵対関係となり、幕府は長州藩征討を決定。7月26日に幕府老中・水野忠精
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PHOTO
(東京ミッドタウン西交差点)
(ミッドタウンガーデンからガーデンテラスをのぞむ)
(ミッドタウンタワーは地上54階・高さ248メートル)
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