会津の史跡
西軍墓地
(せいぐんぼち)
西軍墓地
西軍(新政府軍)は融通寺に屯営を置き、自軍の戦死者をこの地に葬らせた。(一方、会津藩側の遺体には手を触れることも許さず放置したという)
融通寺門前の説明板によれば、土佐藩49名、薩摩藩33名、長州藩24名、大垣藩20名、肥州藩11名、備州藩6名、岡山藩3名、館林藩2名、越前藩1名、版籍不明1名、計150名が埋葬されている。
墓地のある場所は、旧東明寺境内にあたり、いまは西軍墳墓史跡保存会が管理している。なお、新政府軍を「西軍」と呼んだのは、地元会津出身の山川健次郎が最初とされる(山川健次郎は白虎隊隊士で、明治後アメリカに留学し日本初の物理学教授となった。1901年(明治34年)に東京帝国大学総長となる)。
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(墓地は石塀と門扉で囲われている)
(薩摩藩の墓石)
(墓地の隅にある石碑)
(大垣藩の墓石)
(長州藩の墓石)
(備州藩の墓石)
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