幕末トラベラーズ

会津の史跡

西郷邸跡
(さいごうていあと)

会津若松市追手町

会津藩家老・西郷頼母の屋敷跡。戊辰戦争で新政府軍が会津城下に攻め寄せ、籠城の触れが出て西郷が登城したあと、西郷家に残された西郷の母、妻子ら一族が屋敷内で自害した。

西郷邸跡

西郷家は、会津藩松平家譜代の重臣で、代々家老職を勤めた。幕末期の当主・西郷頼母近悳(さいごうたのもちかのり)は、会津藩の安泰を願い、松平容保の京都守護職就任に反対していたが、その箴言は容れられなかった。新政府軍(西軍)の会津攻撃が間近になると、頼母は新政府軍への恭順を説いたが、これも却下されて謹慎。その後籠城と決まり頼母も登城したあとに、屋敷に残された頼母の一族21人が虜囚の辱めを受けることを潔しとせず、自害して果てた。

この日頼母邸で命を絶ったのは、頼母の祖母・冬子、母・律子、妻・千重子、妹・眉寿子、次妹・由布子、長女・細布子、次女・瀑布子、三女・田鶴子、四女・常盤子、末女季子、その他当日西郷邸に居合わせた律子の実家小森一貫斎の家族5人、分家西郷鉄之助・きく子夫妻、縁類の軍事奉行町田伝八・ふさ子夫妻とその家族1人、朱雀3番中隊半隊頭・浅井新次郎の妻たつ子と長男・彦の母子、および西郷家用人森喜左衛門。
(この段、旺文社『会津戦争』(編者・旺文社)より)

この西郷邸のほかにも多くの武家で、残された家族が自刃する同様の悲劇が相次いだ。
西郷邸は「会津武家屋敷」に復元され、当時の家老屋敷のようすをうかがい知ることができる。

PHOTO

(西郷頼母の屋敷は鶴ヶ城の北に位置する)

(西郷邸跡の碑)

(案内板)

(西郷邸の向かい側にある家老・内藤介右衛門(ないとうすけえもん)の屋敷跡)

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