会津の史跡
興徳寺
(こうとくじ)
興徳寺
興徳寺は、鎌倉時代に蘆名氏によって建てられた臨済宗の寺院。戦国時代には、蘆名氏を滅ぼした伊達政宗の仮政庁にもなった。しかし、秀吉の奥州仕置きによって政宗の時代はすぐに終わり、代わって蒲生氏郷
氏郷は鶴ヶ城を近代的な城郭に大改築し、そのとき城下周辺の寺院は郭外に移されたが、由緒ある興徳寺は例外として残された。氏郷はその後京都で病死し大徳寺に埋葬された。ここ会津の興徳寺の墓には遺髪が納められている。
土方歳三とともに新政府軍と戦った会津藩士・秋月登之助
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(興徳寺の門前)
(蒲生氏郷の墓(五輪塔)。氏郷は京都の大徳寺に埋葬され、ここには遺髪が納められている)
(40歳の若さで世を去った氏郷の辞世、「限りあればふかねど花は散るものを心みじかき春の山風」。どうせいつか花は散ってしまうというのに、なぜ春の山風はこうも気短に散らしてしまうのか)
(蒲生氏郷についての説明板)
(秋月登之助の略伝)
(秋月登之助の墓)
史跡マップ
