文部科学省は去る2月に、小中学校の社会科においては「鎖国」や「聖徳太子」という歴史用語を教科書の表舞台から降ろしてしまおうという無謀な学習指導要領改定案を出し、すぐに学校現場をはじめとする各方面から猛反発を受けて撤回しました。
「鎖国」という言葉は幕末当時の人々も実際に使っていたわけですから、現代人が『100パーセント国を閉ざしていたわけではないから鎖国とはいえない』などと理屈を付けられるギリは全くないのです。
国難にある日本を憂えた吉田松陰は海外事情を知るため、金子重之輔とともに死罪を承知でペリー艦隊の黒船に乗り込んで密航を試み、失敗して江戸伝馬町さらに故郷の萩で投獄され、金子は獄死しました。こうした国の状態が鎖国でなくてなんでしょうか。
開鎖の論の下でどれだけの若者が命を落としたことか、国家の文を司る役人の皆さんは歴史の現実を知り歴史をかたる言葉への敬意をより深くもつべきでしょう。
そんな案を出すくらいなら、日本史から「世紀」という表現をなくそうという案の方がよほど気がきいているように思えます。
「世紀」という言葉ほど、歴史の話のなかで頻出しながら耳にするたび小さな戸惑いを覚えさせる言葉も少ないのではないでしょうか。
19世紀が1900年代、20世紀が2000年代ならば、どれだけわかりやすいことか。ところが西暦ではキリストが生まれた年を1年とし(実際の誕生日は少しずれていたらしいですが)、(紀元)1年から100年までを1世紀としたことから順繰りに、19世紀は1801年〜1900年、20世紀は1901年〜2000年となってしまいました。
「17世紀の江戸では…」というフレーズに会うたびに、頭の中で1を引いて「ああ、1600年代の江戸か」と余計な翻訳作業をしなければなりません。だいたい日本史に「世紀」を使う必要などないと思います。年を西暦で表すのは仕方ないにしても、世紀はやめて「1600年代、1700年代」などと言えばよいのではないでしょうか。学校ではそのように教え、ただし「世紀」という語が出てきたときにはそれを理解できるようにしておく、ということで十分と思います。
ちなみにイタリアの美術史などでは、たとえば14世紀のことをトレチェント(trecento=300)、つまり「1300年代(千の位は省いている)」という言い方をするようです。