臨済寺
(りんざいじ)
臨済寺は、今川義元の軍師として名高い太原雪斎
臨済寺の仁王門に掲げられた扁額は、徳川慶喜の書によるもの。また境内には、戊辰戦争で命を落とした東軍兵士の霊を慰撫する「東軍招魂之碑」が建てられている。
臨済寺は、戦国武将のさきがけともいえる北条早雲(戦国時代、関東一円に覇をなした後北条家の始祖)と関わりがある。北条早雲の姉・北川殿は駿河国守護の今川義忠に嫁ぎ、今川氏親
義元は嫡子ではなかったため、出家することとなったが、その義元のために父親の氏親が建てたのが臨済寺(当時は善得院)である。この地はもともと北川殿の別邸だった。
兄・氏輝の急死を受けて家督をついだ今川義元は、善得院を臨済寺と改めて兄の菩提を弔った。そのさい京都から臨済宗の僧・大休宗休
初代将軍の徳川家康も、8歳から19歳までの12年間を今川家の人質として過ごし、この臨済寺で太原雪斎から諸学問の手ほどきを受けたとされる。
寺には、今川義元、今川氏輝、太原雪斎の像や徳川家康肖像、その他今川家や徳川家にまつわる数々の宝物類が保存されており、年に2度の特別公開の日のみ拝観することができる。特別公開は5月19日(今川義元の命日(永禄3年、桶狭間の戦いの日))と10月15日(摩利支天祈祷会)。
(静岡市中心部から安倍川に平行して伸びる麻機
(臨済寺山門。神仏分離のさいに静岡浅間神社から遷された仁王像が安置されており、仁王門とよばれる)
(仁王門に掲げられた扁額は、徳川慶喜の揮毫。最後の将軍となった慶喜は、始祖・家康に特別な思いを抱いていたにちがいない)
(臨済寺の由緒)
(臨済寺本堂。「勅東海最初禅林」の額は勅願寺であることを示す。開山・大休宗休は後奈良天皇に進講した僧であったという所縁がある)
(本堂の前から仁王門を振り返る)
(境内に立つ東軍招魂之碑。徳川慶喜が静岡に居住している明治18年(1885年)に建立された。戊辰の役も遠くなり文明開化が急速に進みつつあるいま、徳川家のために命を捨てた東軍戦士たちの思いを記憶し、その魂魄を慰撫したいとの気持ちがつづられている。建立者は碑文によれば、幕府に従って戊辰戦争を戦った寺島造酒之助をはじめとする人たち)
(東軍招魂之碑)
