流山の史跡
流山広小路
(ながれやまひろこうじ)
流山広小路は旧流山街道に沿った一帯で、江戸期には河岸が整備され、東北・関東北部などからの物資の集散や江戸中期から発展した流山の味醂
北寄りの羽口の渡しから流山に進入した新政府軍は、ここ広小路三叉路で左右に分かれ、新選組を挟撃する陣形を取った。
流山広小路
羽口の渡しから流山入りした新政府軍は砲隊を3隊編成し、「賊徒」の屯集地(新選組)を挟撃するため、まずこの広小路三叉路で左右に分かれた。右(西)方向は流山街道(旧道)の表通り、左方向は裏通りとなる。さらに左方向に進んだ隊列の一部は飛地山(現・流山市役所の裏付近)に陣取り、それぞれ大砲3〜4門を敵本陣に向けて威嚇した。
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(北から流山入りした新政府軍は、広小路三叉路で左右に分かれた。右は流山街道の表通り、左は裏通り。突き当たりの家は史料等に出てくる「大坂屋」の跡にあたる)
(表通りの奥に呉服新川屋が見える。新川屋は弘化3年創業(店舗建物は明治期のもの)で、国の登録有形文化財となっている)
史跡マップ
