幕末トラベラーズ

関東の史跡

箱根・塔ノ沢温泉 (皇女和宮の療養地)
(はこね・とうのさわおんせん)

神奈川県足柄下郡箱根町

箱根・塔ノ沢温泉にある老舗旅館・環翠楼(かんすいろう)。幕府と朝廷の公武合体政策によって将軍家茂に嫁いだ皇女和宮(かずのみや)が療養のため滞在し当地で亡くなった。将軍家では姑にあたる天璋院篤姫(てんしょういんあつひめ)も当地を訪れ和宮をしのんだ。

箱根・塔ノ沢温泉 (皇女和宮の療養地)

仁孝天皇の娘であり孝明天皇の妹である和宮親子内親王は、幕府と朝廷の公武合体政策のため、文久2年(1862年)2月、14代将軍・徳川家茂のもとに嫁いだ。夫婦仲はよかったが、夫・家茂が慶応2年(1866年)、第二次長州征討のため出陣中に大坂城で死去したため、落飾して静寛院宮(せいかんいんのみや)と称された。

王政復古後、新政府軍が江戸城攻撃へ東征をすすめると、和宮は有栖川宮総督に嘆願文を送るなど婚家の徳川家の存続のため力を尽くした。姑の天璋院篤姫とは大奥での出会いの当初は「ライバル」としての確執があったものの、徳川家の苦難の時節を共有するうちにうち解け、維新後も親しく交流がつづけられていたといわれている。

明治2年(1869年)京都に里帰りし4年ほど滞京したあと東京に戻る。明治10年(1877年)脚気で体調をくずし、塔ノ沢温泉の環翠楼で療養生活を送っていたが、9月2日に32歳で亡くなった。

環翠楼は、慶長19年(1614年)に箱根・塔ノ沢に湯治場「元湯」として開かれた。水戸光圀が来訪したとの記録もある。近代では、なき和宮をしのぶ旅の宿とした天璋院(和宮を見舞うために箱根に向かったが到着時には亡くなっていたとも)や、伊藤博文、孫文、夏目漱石、菊池寛といった政治家、文人など数多くの著名人が逗留した。

【関連サイト】

環翠楼

PHOTO

(江戸初期からつづく塔ノ沢温泉の老舗旅館・環翠楼は、明治時代ここを定宿としていた伊藤博文によって命名されたという)

(開湯当時から「元湯」の名称で湯治場が営まれていた)

(傍を通る国道1号線)

(塔ノ沢温泉はいわゆる箱根七湯のひとつ。おなじ箱根越えでも旧東海道とは異なる道筋をとる。旅行客の便宜をかんがえ、旧東海道ではなく箱根七湯ぞいの道を国道にするよう主張したのは福澤諭吉という)

(「君が齢(よわい)とどめかねたる早川の水の流れもうらめしきかな」と、天璋院が和宮の早すぎた死をくやみ、落涙とともに詠んだという早川の流れ。そのせせらぎの音色は今も湯治客に癒しをもたらしてくれる)

史跡マップ
史跡マップ 会津の史跡 流山の史跡 多摩の史跡江戸の史跡 横浜の史跡 関東の史跡 静岡の史跡京都の史跡萩の史跡山口の史跡 下関の史跡 長崎の史跡 鞆の浦の史跡高知の史跡鹿児島の史跡 霧島の史跡