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>>>或旅人の戯言
■150年前の話

今年は2013年。幕末のころなどはるか昔のように思えますが、今からたった150年さかのぼっただけで、時は1863年(文久3年)! ばりばりの幕末真っ盛りです。西郷隆盛も生きてますし、坂本龍馬も勝海舟も高杉晋作もみんなぴんぴんしてます。新選組のファンなら、京都へ行けば市中を回っているナマの土方歳三や沖田総司に会えるんです! 思えばものすごいキャラに溢れた時代ですね。

150年というのは長いか短いか−−。人の人生に比べればずいぶん長い時間のように思えますが、考えてみれば75歳の人のたった2人分です。2人の人が時間リレーをすればもう150年というのは届いてしまう距離なんですよね。自分の時間感覚でも、若いころは10年というとかなり長い年月のように感じましたが、年とってくると、10年20年あっという間です。ましてや150歳になったころには。。^^;

ところでその150年前の文久3年は、幕末史が大きく転換する節目の年でした。何が起こったかというと、それまで尊皇攘夷の親玉だった長州藩が政治の表舞台から消えてしまったんですね。
文久3年の前半までは長州藩は順風満帆だったんです。松下村塾出身の秀才・久坂玄瑞らが中心となって京都の朝廷(攘夷派公家たち)を金と言論で操り、天皇からの勅命を濫発させ、将軍家茂を京都にまで引っ張りだして攘夷の実行を約束させるなど、長州は得意の絶頂にありました。ところが長州ばかりが羽振りをよくしていると、必ずそれを妬む者が出てきます。それが薩摩藩でした。

この年の8月18日の早朝、薩摩藩は会津と組んで、御所の門(九門)を軍隊で固め、長州派の公家7人をお役御免にし、長州の御門警備の任も解きました。こうして長州勢を京都から追い出すクーデターを決行したんですね。長州藩兵たちは7人の公家を連れて都落ちとなりました。これ以降、長州は「王政復古の大号令」が出るまで、京都で復活することはできませんでした。

この「八月十八日政変」で長州は都を追われ、さらに次の年の「禁門の変」でまたもや薩摩・会津と今度は軍事衝突をして敗れ、ますます薩摩と会津への恨みを深くしていきました。
この恨みが幕府崩壊後の会津戦争のときに爆発したと言われています。新政府軍が会津の人々を虐殺し死者さえも蹂躙したとして、長州人に怨嗟の念が集中します。今度は会津人が長州人を恨む番になったんですね。
いまだに会津の人の中には、長州(山口県)人とは縁組みしたくないなどという話を耳にします。150年くらいの時間では、恨みは簡単に消えないということでしょうか。国家間のレベルではまさに今日本がかかえている問題のひとつですね。歴史に刻印されてしまったものは、それが事実か印象かに関わらず、変えていくのは非常に難しいものだと感じさせられます。

[2013.3.8]
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