〜幕末トラベラーズ〜

日本史用語集

江戸時代

(やなぎさわよしやす)
柳沢吉保ってどんな人?

(画像出典:https://www.photo-ac.com/)

柳沢吉保:万治元年(1658年)〜正徳4年(1714年)

徳川5代将軍・綱吉のもとで側用人(そばようにん)となり、老中以上の権勢をふるった人物。

解説

小説やドラマでは悪役で登場することが多い。将軍綱吉が生類憐れみの令を出したり、幕府財政を悪化させるなど、一部で悪政とよばれた政治を行ったため、その綱吉のもとで立身出世をとげた柳沢吉保は批判的な目で見られがちだったのだろう。

もともと館林藩主だった徳川綱吉に小姓として仕えていた柳沢吉保は、綱吉が将軍に就任するとともに幕臣となった。大老・堀田正俊(ほったまさとし)が刺殺されると、吉保は綱吉の側用人に取り立てられ、重く用いられた。

側用人は将軍お気に入りの重臣であり、文字どおり将軍のそば近くにいて、将軍の意向を老中に伝えたり、老中からの意見を将軍に伝える役目をする。老中にとっては側用人の機嫌をそこねると自分たちの悪口が将軍に吹き込まれることにもなりかねないため、ないがしろにはできない。身分としては老中より低いものの、結果的に側用人は大きな権力をもつことになる。 将軍にとっても口うるさい老中から距離を置いて、独裁的な政治を行うことができるため、わがままな性格の綱吉には好都合だったのだ。

こうして出世の道を進んだ柳沢吉保は、1694年には川越藩主になるとともに老中格(老中並みの待遇)となった。さらに大老格にまでなり、1704年には甲府15万石の藩主となった。また、文治政治を推し進め、儒学者(古学派)の荻生徂徠 (おぎゅうそらい)を登用した。

将軍綱吉が死去すると、6代将軍となった徳川家宣(いえのぶ)新井白石を重用し、柳沢吉保は隠居に追い込まれた。年少の頃からずっと綱吉に付き従ってきた柳沢吉保にとっては「あえて二君に仕えず」という心境でもあったかもしれない。