〜幕末トラベラーズ〜

日本史用語集

江戸時代

(しゅしがく)
朱子学ってなんのこと?

(画像出典:https://www.ac-illust.com/)

朱子学とは、中国・南宋の時代に朱熹 (しゅき) がまとめあげた儒学の一派。宋学(そうがく) ともいう。江戸幕府が封建制度の維持にふさわしい学問として奨励し、武士や学者のあいだに広まった。

儒学から生まれた朱子学って?

朱子学 (しゅしがく) といえば、江戸幕府が奨励したことで知られている。君臣の別をはっきりさせる、つまり自分よりエライ人の言うことはちゃんと聞きなさいよ! 主君の命令には従いなさいよ! と主張したことから、封建制度を守るために適した思想と考えられたのだ。
しかし、もともとの朱子学は別に封建制度を応援するためにつくられたわけではない。江戸幕府をはじめとするいろんな国・時代の為政者たちは、朱子学の理論の中から都合の良いところを抜き出して民衆の統治に利用したんだね。

朱子学は儒学を発展させてまとめなおしたもの。儒学は儒教ともいい、よく知られているように、孔子が始めたものだ。儒学とは一言でいえば、「血縁を基本とした愛情と道徳のあり方を示した思想」のことだ。

儒学(儒教)においては、人間の愛情の基本はやはり「親と子」そして家族にあるということだね。まず、子は親や先祖を敬うことが大事。そして親子・家族間で愛情をはぐくみ、その心を社会に広げていけば皆ハッピーになれますよ、相手を思いやりお互いに道徳心をもって生きればこの世は丸くおさまりますよ、というとてもシンプルで多くの人が納得できるような考え方だ。だから政治家たる者はそうやってまず自分の心を修めたのちに他者を治めるべきなのだ、と孔子は主張した。
ではその儒学を発展させた朱子学とはいったいどんなものなの?

現代宇宙論にも負けないスケールの朱子学!

朱子学とは簡単にいえば、人間の生き方を追求した儒学をものすごく拡張して、壮大な宇宙論としてまとめなおした哲学のこと。この宇宙(世界)に属するものは、すべてが普遍的な法則によって支配されている。それを『理』と呼ぶ。一方、この宇宙のすべてのモノは『気』という材料でできている。

これを現代物理学的な言い方にたとえると、宇宙のあらゆるものを形作っている原子(つまり『気』)は、すべて同じ宇宙の法則(つまり『理』)に従って運動している、つまり(人間だって宇宙の一部なんだから)宇宙の運動から人間の人生まで、あらゆる事がらは統一的に説明できますよ、というようなことを主張したものだ。こんな理論を日本の鎌倉時代の始め頃に考えたなんてすごいね。

朱子学は現代の宇宙論をほうふつとさせるようなスケールと合理性を持っているんだけど、違うところは、出発点が儒学なものだから、朱子学で言う宇宙の法則(=理)もまた精神的な要素を持っているということ。
つまり宇宙も人間の精神も物質も、みんな引っくるめて共通の法則(=理)に動かされているのだから、天の理(中国人は「天」という言葉を好んで使う)と人の生き方とはしっかりと結びついている。

だから、自分がすばらしい人間になり、人生を豊かにし、よい社会をつくるためには、あらゆる物事の理をよく研究すること(これを格物致知 (かくぶつちち)という)が大事だということだ。
儒教の視点で言えば、まずは縁ある人々への愛情(仁愛)を持ち、礼節をわきまえ、道徳心を持って生きていけば、自分や自分の周囲や社会全体が幸福になっていく。そのことは天の理がそうなっているからそうなのだ。人はできるだけ天の理に近づくように日々修養することが大事なんだよ、と主張したのだ。

身分制度を理論づけた朱子学!

さて、江戸時代の朱子学といえば、幕府が封建制度・身分社会を確固としたものにするために利用したというイメージがある。儒学創始者の孔子も、「君は君らしく、臣は臣らしくあれ」ということを言っている。そもそも儒学は争いの世界をなくすために秩序というものを非常に重んじる。それが朱子学になると、上下の区別というのがもっとはっきり打ち出されてくるんだね。

たとえば現代風に説明するなら(当時は自然科学の知識もほとんどなかったけれど)、宇宙(自然界)というのは、整然とした秩序を保っていて、それはいわば多重構造のシステムになっている。
人間の住む世界は地球上の大自然のシステムの中で育まれているし、その地球は太陽系の、太陽系は銀河系の、銀河系はさらに大きな銀河団に含まれて、それぞれが上位のシステムによって支配されている。もっと身近な例では会社の組織なんかを考えるとわかりやすいね。

「こうした宇宙(自然界)の『理』は、人間の社会においては身分の上下として現れるのだ。(だから各人が自分の身分にふさわしい生き方をするべきなのだ)と当時の日本人に対して説いたのが、林羅山 (はやしらざん) だ。これは士農工商という身分制度主君への忠節の重要性を裏付けるにはうってつけの説明方法だね。
幕府とかが自分勝手にそういう身分制度を決めたんじゃない、天(自然)の理がそういう風になっているんだと言われれば、なるほど、そうなのかと納得してしまう人も多かったかもね。かれは徳川家康に登用され、幕府のために朱子学を講じるいわば「御用学者」として名を残すことになる。

朱子学の「欠点」とは?

朱子学(とくに日本に輸入されて解釈されたもの)は、身分制社会を統治する支配者にとって都合がよい。ということは逆に言うと、支配される側にとっては何だか損をしているんじゃないか、という話にもなるね。

朱子学を批判する人というのは、朱子学は理を突き詰めようとするあまり、結局は机の上だけの役に立たない学問になってるんじゃないか、と主張する。儒学(儒教)というのは、人間がいかに生きるべきか、いかによりよい社会をつくるかを追究するための学問なのに、ただ知るだけで実行しなければ学問する意味がないんじゃないかというわけだね。

そこで明の時代に出た王陽明 (おうようめい)は、「知行合一 (ちこうごういつ) 」を唱えて、「知識に行動が伴って初めて真に知ったことになるのだ!」 と主張したのだ。 この考え方は幕末の動乱期に志士たちの行動原理になった。いくら頭で理屈をこねくりまわしても行動しなきゃ何も変わらない、学問する意味がないということだね。

江戸時代の朱子学者たち

ここで、江戸時代のおもな朱子学者をあげておこう。 江戸時代の朱子学は、京学と南学の二派があり、京学は戦国時代の後半に京都の公家から出た藤原惺窩 (ふじわらせいか)が最初に出た大先生。その弟子にはさっきあげた林羅山があり、その子・林鵞峰 (はやしがほう)、孫の林鳳岡 (はやしほうこう) という親子三代が幕府お抱えの朱子学者として有名で、その後も林家は代々幕府の文教政策にたずさわった。民間のほうでは、木下順庵 (きのしたじゅんあん)新井白石 (あらいはくせき)室鳩巣 (むろきゅうそう)らがいる。

いっぽう南学では、谷時中(たにじちゅう)、野中兼山(のなかけんざん)山崎闇斎 (やまざきあんさい)らがいる。とくに山崎闇斎は朱子学と神道をむすびつけて垂加神道 (すいかしんとう)を唱えたことで有名。
ちなみに儒学(儒教)というのは、神道とはわりと相性がいいけれど、仏教のことはものすごく嫌っているのだ。だれも実際には知りもしない「あの世」や地獄・極楽のことをさも見てきたかのように講釈し、空想のような話ばかりして人々を惑わせていると非難しているんだね。儒学はあくまで現実の人生をどう生きるか、今あるこの社会をどう変えていくかということに関心がある。「理」に合わぬことは受け入れないという姿勢なのだ。

[もうちょっと詳しく]「性即理」と「心即理」

ついでに、朱子学を大成させた朱熹の「性即理 (せいそくり) と、陽明学を唱えた王陽明「心即理 (しんそくり) についてみてみよう。それぞれの考え方の違いにふれるときには必ず登場する言葉だね。

性即理の「性」とは、人間の心の「本来の部分」をさす。人間の心のうち、本来の部分(純粋で道徳的な部分)は「理」であるが、そうでない部分は「気」である、つまり二次的に生まれた混じりけのあるモノである、としたんだね。もっと大雑把にいえば、心のなかのキレイな部分は理だけれど、キタナイ部分は理じゃない、と言ったんだ。
これに対して王陽明は、人の心は朱子学の言うように分けられるものではなく、そのまま全部が理なのだとした。これが心即理。かれは、「天の理はすべてそのまま人間の心に反映されている。キレイもキタナイもない。もっと自分の心に正直になってどんどん行動せよ!」と朱子学を一喝したんだ。一言でいうなら、陽明学は主観的で行動的、朱子学は客観的で静観的といえる。

そしてまた政治的に利用された朱子学は「いい、悪い」の区別に非常にこだわる思想ということができる。 将軍を頂点とする武士政権、つまり幕府は朱子学的に見ればもちろん「いい」存在であり「正義」であるはずなのだね。だから朱子学を批判するような陽明学を幕府が警戒したのは当然。(天の理が現れているところの)現在の秩序をみだし、混乱・争いをもたらすような存在は「悪」なのだ。実際、陽明学者だった大坂町奉行所元与力の大塩平八郎(おおしおへいはちろう)は「世直し」のために幕府に対して反旗をひるがえし(天保8年(1837年)大塩平八郎の乱)、吉田松陰西郷隆盛など幕府を倒すために奔走した志士たちも陽明学を学んでその行動原理とした。

いつの時代でも、権力を握った者は保守的になる。正義はもちろん自分の側にあり、その正義にいちゃもんをつけたりくつがえしたりしようとする者は悪。その理屈をもっともらしく固めるために朱子学を利用したということだね。
そして「理」という理想的な姿・完成形を意識しすぎるあまり、現在の状況を否定したり現実の問題から逃避するというような弊害も起きてきた。幕藩体制が安定しているころはまだよかったけれど、幕末の動乱の時代が近づいてくるにつれて、そうした一種の形式主義、原理・原則主義のような考え方は、変わりゆく時代の中では足かせになってしまったようだね。

【関連項目】
・新井白石の「正徳の治」
 (「鬼」と呼ばれた朱子学者による政治)
・松平定信の「寛政異学の禁」
 (人気のなくなった朱子学をもう一度もりあげる!)