〜幕末トラベラーズ〜

日本史用語集

江戸時代

(しゅいんせん・ほうしょせん)
朱印船・奉書船ってなんのこと?

(画像出典:Licensed under PublicDomain)

朱印船とは、幕府(将軍)が発行した朱印状(海外渡航許可証)を持った船のこと。江戸時代の初期、東南アジア方面との貿易を行った。

奉書船は、朱印状に加えて、幕府(老中)が発行した奉書も持った船のこと。キリスト教の流入を防ぐため貿易の条件を厳しくするなかで生まれた。

貿易は「信用」が大事!

徳川家康は、あまたの強者が集う戦国レースで最後まで勝ち進み、みごと「優勝」の栄冠を勝ち取った武将だ。先に天下統一を成しとげた先輩の豊臣秀吉が外国(朝鮮)へ戦争をしかけて大失敗したのに対して、家康は江戸幕府を開いた当初から近隣諸国と貿易を盛んにして、おたがい仲よくやろうよ!という善隣友好的な外交方針をかかげていた。 もし、キリスト教流入問題というものがなければ、日本は家康の理念のもとで、世界に冠たる海洋貿易国家として名をはせていたかもしれないね。

ところで商売というのは信用が大事! 信用できない人間になんで金が払えよう。貿易のときに相手が気にするのは、貿易船が「由緒正しい」ものかどうかということだ。日本には倭寇の歴史がある。かつて倭寇という海賊が周辺国を荒らし回ったおかげですっかり悪名が広まってしまったのだね。室町時代の日明貿易では、海賊と正規の貿易船を区別するために勘合符という割符(2つに割った札)を照合する方式が使われたのでこれを勘合貿易とも言った。

朱印船は幕府が公認した貿易船

江戸期になると、徳川家康は 「この船は海賊船などではなく日本政府(幕府)が保証したちゃんとした貿易船ですぞ (だから安心して積荷を取引し、必要なときにはそちらで保護もしてくだされ)」という意味を込めて朱印状(海外渡航許可証)というものを発行した。 この朱印状を持った船が朱印船だね。

だから相手国では朱印船が来れば丁重に迎え入れて安心して取引をし、朱印船でなければ追っぱらったりすることもあった。 朱印とは、朱色でついたハンコのこと。将軍のハンコだから権威がある。朱印船は大いばりで東南アジアの国々へ出かけていったのだ。

(ほんとうは将軍の印を押した大事な書類はみんな「朱印状」という。でも朱印船の話をするときには、朱印状=海外渡航許可証という意味で使う)

朱印船を出した人々・貿易相手国

朱印船を運用する人は豪商や大名が中心だった。商人では京都の角倉了以 (すみのくらりょうい)茶屋四郎次郎 (ちゃやしろうじろう) 、摂津の末吉孫左衛門(すえよしまござえもん)、末次平蔵(すえつぐへいぞう)ら。大名では島津家久有馬晴信、松浦鎮信(まつらしげのぶ)らが朱印船で貿易を行っていた。 渡航先の許可地も決められていて、なかでも
・安南(あんなん)…ベトナム
・東京(とんきん)…ベトナム
・交趾(こーち)…ベトナム
・高砂(たかさご)…台湾
・呂宋(るそん)…フィリピン
・暹羅(しゃむ)…タイ
・柬埔寨(かんぼじあ)…カンボジア
などが有名。
また、取引した品物には次のようなものがあるね。

・日本からのおもな輸出品

銀・銅・硫黄・刀剣・樟脳(しょうのう)
(ちなみに樟脳というのはクスノキ(樟)から取れる結晶で、医薬品や香料、殺虫剤などに使われた)

・日本へのおもな輸入品

中国産生糸/絹織物・砂糖・象牙・香料・西洋産の物品

海外に日本人の集落(日本町)ができる

徳川家康の貿易振興政策によって、朱印船や外国船に乗って東南アジア方面へ出かけた日本人は30万人にものぼるとみられている。このなかには現地に住み着いて「日本町 (にほんまち)」とよばれる日本人の集落をつくることもあった。ツーラン(ベトナム)、フェフォ(ベトナム)、アユタヤ(タイ)、マニラ(フィリピン)などが有名。
シャム(タイ)の首都のアユタヤで日本町の長となった山田長政はシャム国王に信頼され、反乱軍の鎮圧するなどの活躍をしたことで知られているね。

キリスト教問題が浮上

日本からの朱印船や各国の貿易船による貿易が盛んになり、外国人との関わりが強くなってくると、キリスト教の流入問題がより深刻になってきた。 戦国時代に南蛮貿易が始まると同時にすでにこの問題は出てきていたんだけれど、貿易に熱心な徳川家康は最初のうちはキリスト教を黙認していて、1612年になってようやく禁教令を出したんだね(1612年に幕府直轄領に禁教令。翌1613年に全国に禁教令)
この禁教令では、キリスト教を信じたり布教したりすることはもちろん禁止。そして幕府はキリスト教の教会を壊したりキリシタンを国外に追放したりした。でも後になって行われたことにくらべればまだまだ厳しい措置ではなかったし、貿易を制限することもなかった
「鎖国ってなんのこと?」も見てね)

ところが家康が亡くなると、2代将軍秀忠は 「これまでのような生ぬるいやり方ではダメだ。キリスト教は根絶やしにせねばならぬ!」 とばかり、徹底的な弾圧を始めたのだ。元和の大殉教と呼ばれる大量処刑も行われた(1622年)。
キリスト教のような一神教の宗教はもともと排他的な性格を持っているうえ、神への強い信仰心も根づきやすい。絶対的な神へ帰依することでこの世の為政者の存在が軽視されることにもなりかねない。これは幕府にとっては一大事だ。

奉書船制度ができる

危機感をおぼえた秀忠政権ではキリスト教流入防止のため、貿易そのものも制限していくこととした。それが奉書船の制度(1631年)だね。 これまでは朱印状をもった船つまり朱印船であれば、相手国で日本の公式な貿易船としての扱いを受けられていたのだけど、今後は朱印状に加えて老中が発行した奉書という書類をもっていないとダメということになった。つまり、「朱印状+奉書」の2点セットでようやく従来の朱印船の資格が持てるということになったのだ。それだけ貿易の条件が厳しくなったわけだ。
なぜこんなやり方にしたかというと、朱印状は将軍が発行したものだから、『(従来の)朱印状は無効である』などと簡単に宣言をすることはできなかったんだね。そんなことをしたら将軍の権威が傷つくから。

奉書船制度の終了

1633年になると、奉書船以外の船は海外渡航そのものができないということになった。また5年以上海外に住んだ者は日本に帰国できないとされた。帰国したら死罪だ! その理由は海外に住んでいる間にキリスト教に染まっている可能性があるからだ。

1635年には日本人の海外渡航が全面的に禁止された。帰国したらもちろん死罪! 海外渡航ができないのだから奉書船の制度も終わりをつげた。そして日本は「鎖国」への道を進むことになったんだね。 (鎖国については「鎖国ってなんのこと?」を見てね)

【参考文献】

・藤井譲治『日本の歴史 江戸開幕』集英社、1992年

・藤井譲治他『日本の歴史 近世・近現代編』ミネルヴァ書房、2011年

・笠原一男『日本史研究』山川出版社、1997年