(しちぶつみきん)
七分積金ってなんのこと?

七分積金は、江戸の町の非常時に備えて、町の運営費用の剰余金を積み立てておく制度。寛政の改革で導入された。
七分積金
天明の大飢饉のあと、寛政の改革をはじめた松平定信は、非常時にそなえる「備荒貯蓄
江戸時代、農民には年貢という税が課されていましたが、江戸の町人はどうだったかというと、長屋を借りて住んでいた人々は基本的に税金というものはありませんでした。その代わり長屋の持ち主(地主)は、町入用という町の運営費を払う義務がありました。この町入用はたとえば水道・火消し・木戸番などの管理費や道路の修繕費などに使われていました。
七分積金は、町入用の出費をなるべく節約させて生まれた余り分のうちの7割を積み立て、非常時にそなえた貯蓄や低利の融資、貧民の救済などにあてさせたものです。
ちなみに、節約分のうち残りの1割は町入用の予備費として各町内で積み立てられ、2割は地主などに還元されました(もともと町入用は地主が払ってるものですからね)。七分積金は実際、天保の飢饉や米価の高騰のときに活用され、さらに明治維新後も170万両にものぼる積立金が東京市に引き継がれて、市役所や警察署などの建設にあてられました。江戸時代に決められた制度の中ではとても役に立った制度といえますね。
さきほど、町入用を節約させて生まれた余り分のうちの7割を積み立てる(つまりこれが七分積金)と言いましたが、そのすべてがお金の積み立てに回ったわけではありません。何割かは貯蔵用の米の費用にあてられました。米は江戸町会所
そして残りのお金が、貧民の救済や低利の融資にあてられました。つまりお米とお金というふた通りの形で、飢饉などに備えて貯蔵(積み立て)されたわけですね。
非常時に備えてお米を保管しておくことを
囲米
ですから七分積金とは一種の囲米とも言えるし、米を貯蔵した江戸町会所は社倉でもあるわけです。