〜幕末トラベラーズ〜

日本史用語集

江戸時代

(きゅうりきのうれい)
旧里帰農令ってなんのこと?

(画像出典:https://www.photo-ac.com/)

旧里帰農令寛政の改革で出された法度。農村を捨てて都市に流れ込んだ没落農民に対し、故郷に帰るように促した。農村の復興と都市の治安の改善を期待したもの。

解説

江戸の中ごろになると、商品経済が農村にもひろがってきた。商品経済とはおおざっぱに言うと、自給自足ではない経済のことだ。つまり他の人とモノを交換しあって生活をしようというシステムのこと。モノを交換するための手段が「お金」だ。現在はもちろん商品経済そのものである。

封建制度の江戸時代は、もちろん自給自足ではないけど、社会のシステムとしては自給自足的な考え方を基本にしていた。そうすればタテ社会を続けていけるから社会のトップに立つ幕府には好都合。だから経済の主役はあくまで「米」であって、「お金」のほうはあくまで補助的な位置づけにしておきたかったんだね。

ところが、農村にも商品経済がひろがってくると、知恵とお金のある農家は「商品」をたくさん造って稼ごうとする。社会のシステム全体がお金なしには成り立たなくなってきてるから、お金のない農民は商品経済に乗りおくれてますます貧しくなり、土地を手放して豪農の小作人になったり、出稼ぎに出たり、江戸のような大都市に流れ込んだりしていた。

天明の飢饉のような大災害があったりするとそうした現象はますます加速したんだ。 農村は荒れ果て、都市は流民で治安が悪化して犯罪がふえ、打ちこわしなどの暴力行為もふえてきた。これをなんとかしなきゃいかんということで出されたのが寛政の改革の一環として出された「旧里帰農令」。つまり農民ははやく田舎に帰りたまえ!帰ってはやく米を作って年貢を納めたまえ! と声を大にして叫んだ法度だ。

ついでに…

のちに同じような法度が天保の改革でも出された。こちらは「人返し令(1843年)」。人返し令のほうは「田舎に帰れ!!」とますます声を張り上げて強制力をもたせたのに対し、旧里帰農令は強制力がなかったとされているけど、結果的にはどっちもたいした効果はなかった。そりゃそうだよね、なんとかして生きるために江戸に出てきたんだから、今さら国に帰ってどうにかなるとはとても思えなかっただろうね。