〜幕末トラベラーズ〜

日本史用語集

江戸時代

(あげまい)
上米ってなんのこと?

(画像出典:https://www.photo-ac.com/)

上米とは、享保の改革のときに、各大名から石高1万石につき100石を納めさせた制度。

解説

上米 (あげまい)とは、享保の改革のときに幕府の財政をおぎなうため、大名から石高1万石につき、100石を納めさせた制度です。上米 (あげまい) とは、大名から幕府に「米をあげる」ってこと。まあ上納金といったもの。その代償として参勤交代時の江戸在府期間をそれまでの1年から半年に軽減しました。つまりそれまでは領国に1年、江戸に1年滞在するという決まりが、領国に1年半、江戸にいるのは半年でいいよっていうことになったんです。

もともと江戸幕藩体制では、 幕府は幕府領(天領)から年貢をとる。 大名家は自分の藩領から年貢をとる。 というふうに、それぞれが自分の領地から税金を取って経費をまかなう、いわば独立採算制のしくみだったんですね。これはまあ封建制度のひとつの形態。

だから大名家から幕府へ、米などの税が納められるわけではない(幕府が大名に課した義務は、軍役と城普請などの公共工事それに幕府への忠誠)。 だけど徳川吉宗が将軍についたときの幕府財政はかなり悪化していたため、吉宗は「大名の諸君よ、すまぬ。将軍家としては恥ずかしいことなんだが、金欠病になってしまったゆえ、ちと融通してくれんかな」(史料では「御恥辱を顧みられず仰せ出され候」)と大名家に頼み込んだというわけです。

上米の制によって幕府の年貢収入は1割ほど増えました。上米の制は幕府にとっては一定の効果があったとして、享保15年(1730年)に廃止され、参勤交代の江戸滞在期間も半年から1年に戻りました。 もともと将軍吉宗は幕府の権威を高めることで世の中を引き締めようという思いが強かったので、幕府が大名に「もらい米」をするなどということは恥であってほんとはやりたくなかったのですね。

【参考文献】
・笠原一男著『日本史研究』山川出版社、1997年