幕末トラベラーズ

山口・湯田温泉の史跡

井上馨遭難の地碑
(いのうえかおるそうなんのちひ)

山口市中園町

倒幕派に立った井上聞多(馨)は元治元年(1864年)9月、湯田村・袖解橋(そでときばし)の近くで藩の保守派から襲撃され重傷を負ったが、所郁太郎の手術によって奇跡的に一命を取り留めた。

この碑は大正6年(1917年)に建てられた。揮毫は野村素介による。

井上馨遭難の地碑

禁門の変を起こした長州藩は幕府から征討を受けることとなったが(第一次長州征伐)、井上聞多は幕府に対しては武備恭順(形式的には恭順するが臨戦態勢は保持する)すべきであると主張したため、椋梨藤太(むくなしとうた)を首魁とする藩内保守派(佐幕派)から狙われた。

元治元年(1864年)9月25日、藩論を決定する山口政事堂での御前会議からの帰り道、湯田村の袖解橋近くで、井上は保守派数名の襲撃を受け、重傷を負った。

兄の家に担ぎ込まれた井上は、ちょうど居合わせた美濃国出身の尊皇志士で西洋医学も学んだ所郁太郎(ところいくたろう)の手で、畳針で50針も縫い合わせるという施術を受け、奇跡的に一命を取り留めた。その後回復した井上は高杉晋作の藩内クーデター戦に参加し、以後倒幕運動の牽引役を担うことになる。

PHOTO

(山口中心部から石州街道を湯田方面に向かう途中、山口駅と湯田温泉駅のなかほどに井上馨遭難の地碑がある(右側))

(井上馨遭難の地碑)

(「世外」は井上馨の号。また実際に遭難した地点はこの碑から南西へ少し寄った袖解橋付近である)

(井上馨遭難の地碑の説明板)

(井上馨を治療した所郁太郎についての説明板(井上公園にある))

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