幕末トラベラーズ

山口・湯田温泉の史跡

山口城跡
(やまぐちじょうあと)

山口市滝町

山口城(山口屋形)は幕末長州藩の政治の中心地。長州藩は江戸期の初めより日本海側の萩城を拠点としていたが、幕末期になると交通の要地であった山口に城(屋形)を築いた。

山口城跡

長州藩・毛利氏は、江戸時代のはじめに日本海側の萩に城郭(萩城)を築き、そこを藩政の本拠地としていたが、幕末期の文久3年(1863年)4月、藩主・毛利敬親(たかちか)は萩を発って山口・中川原の御茶屋に到着し、以後山口が藩政の中心地となった。

翌元治元年(1864年)、現在の山口県庁があるこの地に山口城(山口御屋形)が完成した。計画では函館の五稜郭に似た「八稜城」という西洋式の星型要塞にする予定であったが、情勢が緊迫化する中で建設時間の余裕がなく、堀も星型ではなく前面に設けられた。元治元年11月ころには完成したとみられるが、すでに禁門の変によって長州藩が朝敵となり幕府の征討を受けるにいたって(第一次長州征伐)、恭順派が政権をにぎった長州藩は幕府に謝罪し、幕府の巡検使の指示で屋形の一部を破却し、敬親は萩へ戻った。

翌慶応元年(1865年)、高杉晋作の決起に呼応した奇兵隊・諸隊が藩正規軍を破り「正義派(討幕派)」が政権を奪回すると、藩主敬親は再び山口に戻り、翌慶応2年にはここに常住することとなった。

山口屋形は明治3年(1870年)に山口藩庁となった。現在残る藩庁表門はこのときに完成したものである。そして翌明治4年には山口県庁となった。当時の遺構としてはこの藩庁門と水堀が残されている。

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山口御茶屋跡

PHOTO

(明治3年に完成した山口藩庁門。脇門付薬医門で切妻造りの本瓦葺き)

(藩庁門に関する説明板)

(藩庁門)

(藩庁跡の石柱)

(城内側より)

(城内側から脇門を通して外側を見る)

(県立博物館付近より現県庁舎を望む)

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