幕末トラベラーズ

下関(関門地区)の史跡

本陣・伊藤邸跡
(ほんじん・いとうていあと)

下関市阿弥陀寺町(あみだいじちょう)

伊藤邸は鎌倉時代から続いた名家で、江戸期には大年寄として町政を司り、長府藩の本陣ともなった。

幕末期には吉田松陰や坂本龍馬らの志士と交流をもち、なかでも龍馬には屋敷の一部を貸与して夫婦を住まわせるなど、物心両面にわたって篤い支援を行った。

本陣・伊藤邸跡

幕末時の当主・伊藤静斎(いとうせいさい)は吉田松陰と交友があった。松陰は九州に遊学するさいにも伊藤邸に立ち寄っている。平戸藩家老・葉山左内(はやまさない)に学ぼうとその門を叩いたのも、伊藤静斎が葉山左内の人物をよく知っていたためである。

静斎の次の当主・伊藤九三(いとうきゅうぞう)(助太夫)は、坂本龍馬の活動を支援した。龍馬は慶応元年(1865年)ころから下関に来るたびに伊藤邸に立ち寄っていたが、慶応3年(1867年)1月ころに、九三は龍馬に「自然堂」と呼ばれた部屋を提供し、龍馬は妻・お龍とともに寄宿。ここを下関での本拠地とした。

慶応3年(1867年)11月15日、龍馬が京都・近江屋で暗殺された知らせは、12月2日にここ伊藤邸に滞在していたお龍のもとに届けられた。12月中旬にお龍は三吉慎蔵宅に引き取られ、その後土佐へ向かった。

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(坂本龍馬夫婦は伊藤邸内の「自然堂」と呼ばれた部屋に住んだ。邸宅は太平洋戦争の戦災で焼失してしまい、井戸の跡と碑のみがその場所を知らしめている)

 

 

 

(お龍、龍馬、伊藤邸の当主・九三が描かれた顔出しパネル)

(隣接する春帆楼から)

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