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京都[その他の史跡]

下鴨神社
(しもがもじんじゃ)

下鴨神社
下鴨神社の楼門(京都市左京区)

下鴨神社 (しもがもじんじゃ)は、上賀茂神社と共に京都朝廷の崇敬を受けてきた、京都で最も古く最上位の格式を持っていた神社のひとつ。

幕末期の文久3年(1863年)、孝明天皇が攘夷祈願のため、将軍・徳川家茂を供にしたがえて上賀茂・下鴨両社への行幸を行った。

下鴨神社ってどんな神社?

賀茂神社は古代の豪族である賀茂氏が氏神とした神社で、上賀茂神社(賀茂別雷神社 かもわけいかづちじんじゃ)と下鴨神社(賀茂御祖神社 かもみおやじんじゃ)の総称である。山城国の一宮であり、伊勢神宮についで旧官幣大社の筆頭としての社格を誇ってきた。

上賀茂神社と下鴨神社は同格であるが、祭神が異なる。『山城国風土記』によれば、賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)の娘・玉依姫 (たまよりひめ) が鴨川で遊んでいたときに、上流から丹塗矢 (にぬりや)が流れてきたのでそれを持ち帰り寝床に置いたところ、懐妊し子が生まれたという。その子が成人したとき祖父である賀茂建角身命が「お前の父に酒を飲ませよ」と言ったところ、子はすぐさま天に昇っていったという。この天に昇った子が上賀茂神社の祭神として祀られている賀茂別雷命 (かもわけいかづちのみこと)であり、下鴨神社に祀られているのが賀茂建角身命と玉依姫命である。

ちなみに下鴨神社の祭神である賀茂建角身命は、神武天皇の東征のとき、天皇を導いた八咫烏 (やたがらす)の化身とされている。

奈良から京都に遷都されたのちは、上賀茂神社・下鴨神社は都を守護する神社として朝廷の崇敬を受けることとなる。京都三大祭りのひとつである葵祭はこの両社によって催されている(毎年5月15日の開催)。

文久3年(1863年)3月、尊皇攘夷を掲げる長州藩の画策で将軍・徳川家茂が上洛し、孝明天皇による攘夷祈願のための賀茂行幸に際して天皇の供をすることとなった。そのとき鴨川沿いの沿道にいた長州藩士の高杉晋作は、馬上の将軍家茂に向かって大胆にも「いよう、征夷大将軍!」と声をかけたという。司馬遼太郎著『世に棲む日日』には、天下のぬしに対しこれほどの無礼をはたらいた男もなく、本来なら鋸引きの刑か何かに処せられるだろうが、このときの将軍は天皇の供であるため、その家来たちも勝手に行列を乱すことはできず、高杉を捕らえることはできなかった、というくだりがある。

その逸話の真偽についてはどうやら疑わしい面もあるが、当時の幕府がいかに朝廷を中心とした攘夷の世論に押されていたか、そして外国の圧力との板挟みとなり弱腰となっていたかを表すひとつのエピソードだろう。

下鴨神社
下鴨神社舞殿
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下鴨神社

上賀茂神社

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