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京都[その他の史跡]

金閣寺
(きんかくじ)

京都市北区金閣寺町

金閣寺は京都を代表する観光名所のひとつ。室町幕府第3代将軍・足利義満が営んだ北山の山荘がその起源。義満の死後、臨済宗の寺院(鹿苑寺)となった。

昭和4年(1929年)国宝に指定されたが、昭和25年(1950年)7月、放火により消失。現在見られる建物はその後再建されたものであり国宝ではないが、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

幕末期、金閣寺の住職・北澗承学(ほっかんしょうがく)の妻である村山たかは、井伊直弼の配下である長野主膳の妾となり、安政の大獄でスパイとして暗躍した。

金閣寺ってどんなお寺?

金閣寺は通称であり、正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)。その中の金閣といわれる舎利殿(写真の建物)がとくに有名なので、金閣寺とよばれている。金閣寺は臨済宗相国寺(しょうこくじ)派の禅寺で、相国寺の塔頭寺院(たっちゅうじいん)という位置づけである。(塔頭とは寺の中に建てられた小寺。通常は親寺の境内にあるが、金閣寺と相国寺は離れており「山外塔頭」となる)

金閣寺舎利殿は三層(三階建て)構造となっていて、いずれも外縁に回廊がめぐらされている。一層と二層はほぼ同じ面積で回廊部分を除く広さは5間半×4間というから、小中学校の標準的な教室と広さも形も似かよっている。三層部分はやや小さい正方形で16畳ほどである。二層と三層部分に金箔が貼られている。残念ながら内部は一般には公開されていない。

金閣の金箔張り替えは1987年9月に完成し、10.8センチ四方の金箔約20万枚が使用された。 張り替え前の10倍の量で、金箔の厚さは5倍。総工費は7億4千万円。(レファレンス協同データベースより)

金閣は、6千平米以上もある鏡湖池(きょうこち)に対して建物の半分以上を張り出すようにして立っている。水面に映った「逆さ金閣」や雪化粧の風情がとくに観光客の人気を集めている。

雪の金閣寺舎利殿
金閣寺の歴史

鎌倉時代に西園寺家が所有していた所領を、応永4年(1397年)に室町幕府第3代の将軍・足利義満が譲り受けて邸宅とし「北山第(きたやまてい)」(または北山殿(きたやまどの)))と名づけた。

北山第を造営する3年前の応永元年(1394年)には、義満はすでに将軍職を嫡男の足利義持に譲り、翌年には出家している。ただし政治の実権は握り続けて、北山第は政権の中心となり、万事において派手好きな義満の性格を反映した北山文化の発信地ともなった。

とんち話で有名な一休宗純は、義満が出家した年に生まれている。アニメ「一休さん」では将軍義満(実際にはすでに隠居している)が「一休さん」を金閣の中に招いて知恵を試したりする場面が設定されているが、時代背景という面では可能性のある創作といえる。一休宗純は後小松天皇の落胤とされるが、南朝側の人間であった母親が宮中を追われたため、民間で育ち臨済宗の僧となった。

応永15年(1408年)、義満は後小松天皇を北山第に迎え、北山行幸とよばれる盛大な宴を開いた。義満の死後、嫡男義持は夢窓国師を勧請して開祖とし、北山第は禅寺・鹿苑寺となった。その本山は義満自身が創建した臨済宗・相国寺である。

幕末期、金閣寺の住職・北澗承学(ほっかんしょうがく)の妻である村山たか(可寿江)は、井伊直弼の家臣である長野主膳の妾となり、安政の大獄で女スパイとして暗躍。たかの子で金閣寺の寺侍となった多田帯刀も母と共に反幕派の動向を探る役目についた。たかは文久2年(1862年)に尊攘派に捕らえられて京都三条河原に3日3晩晒され、その後多田帯刀も長州藩士らにより殺害された。

【関連ページ】

臨済宗相国寺派

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