幕末トラベラーズ

鹿児島の史跡

山本権兵衛誕生地
(やまもとごんべえたんじょうち)

鹿児島市加治屋町

山本権兵衛(名は「ごんのひょうえ」とも)は、嘉永5年(1852年)に加治屋町で生まれた。47歳で海軍大臣となり、日本海軍の整備に尽力し「海軍の父」とも呼ばれた。日露戦争では、同郷の東郷平八郎を連合艦隊司令長官に抜擢し、日本を勝利に導いた。

山本権兵衛誕生地

山本権兵衛は、12歳のとき薩英戦争に雑務員として参加。のち戊辰戦争のときは歳を2歳いつわって薩摩藩の小銃隊に加わり、奥羽地方まで転戦した。維新後は一貫して海軍の道を進む(海軍兵学寮→軍艦高千穂艦長→海軍大臣→総理大臣)。山本は日本海軍の組織を作り上げた「海軍の父」と呼ばれている。西洋諸国を参考に見よう見まねで開始された明治初期の頼りない海軍を、日露戦争を行えるほどの力を持たせたのは、ひとえに山本の功績だった。

明治38年(1898年)に(第二次山縣内閣のとき)海軍大臣となった山本は、ロシア海軍に勝利するためにあらゆる努力を払い、日露開戦前には慣例をやぶる形で東郷平八郎を連合艦隊司令長官に任命した。結果的にこの人事が日本に勝利をもたらすことになる。

1913年(大正2年)には立憲政友会と結んで内閣総理大臣に就任するも、軍需品をめぐる贈収賄事件(シーメンス事件)の責任をとって翌年辞任。10年後の1923年(大正12年)9月2日、関東大震災の翌日に、ふたたび総理大臣になった。が、年末に起こった虎ノ門事件(裕仁親王(のちの昭和天皇)が狙撃された)により、4カ月ほどでまたも辞任に追い込まれた。

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(誕生地の碑は、田平病院の敷地内にある)

(塀の内側に、山本権兵衛と、甥の英輔の碑が並んで建っている)

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