幕末トラベラーズ

鹿児島の史跡

祗園之洲砲台跡
(ぎおんのすほうだいあと)

鹿児島市清水町

文久3年(1863年)7月に起こった薩英戦争で、薩摩藩側の攻撃に使用された砲台のひとつ。当砲台からの攻撃で英国側は多数の死傷者を出したが、英国軍艦に搭載された高性能のアームストロング砲により、祇園之洲砲台は破壊された。

祗園之洲砲台跡

この周辺はもともと遠浅の海で祗園浜と呼ばれていた浜辺だったが、調所広郷(ずしょひろさと)が軍事訓練施設にするために埋め立て、のち島津斉彬のときに砲台が築かれた。

薩英戦争では、英国軍艦レースホース号が薩摩側の砲戦能力を見くびって海岸に近づきすぎ、浅瀬に乗り上げて座礁した。薩摩側にとっては大きなチャンスだったが、そのときにはすでに祇園之洲砲台は英国艦のアームストロング砲によって破壊されており、なすすべもなく、レースホース号が僚艦によって救出されるのを見送るのみだった。(→薩英戦争については、薩英戦争記念碑もご参照ください)

PHOTO

(遠浅の浜辺を幕末に埋め立てて作られた祇園之洲砲台。写真の手前方向が海(現在は埋め立てられて祇園之洲公園となっている))

(中央やや右よりに砲台跡の石碑が見える)

(砲台跡の石碑)

(「舊薩藩砲臺跡」と刻まれている)

(石碑の背面から)

(砲台台座の遺構)

(砲台と薩英戦争の説明板。島津斉彬が心血を注いで築いた砲台は、英国軍艦を打倒するには至らなかったが、薩摩藩の軍事力があなどれないことを英国に知らしめ、英国の支援を得て倒幕へと邁進する道を開いた)

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