幕末トラベラーズ

鹿児島の史跡

西郷隆盛洞窟
(さいごうたかもりどうくつ)

鹿児島市城山町

明治10年(1877年)2月15日に始まった西南戦争。西郷軍は南九州を7カ月にわたって転戦した末に、故郷・鹿児島に戻ってきた。西郷隆盛は包囲する政府軍の降伏勧告を受け入れず、城山のこの洞窟を司令部として最後まで戦った。

西郷隆盛洞窟

明治10年(1877年)8月15日に、西郷軍は和田越(わだごえ)の決戦に敗れ、長井村(現・延岡市北川町)で官軍に包囲された。西郷はここで軍を解散して官軍への投降者を切り離し、残った精鋭500名が可愛岳(えのだけ)を登って包囲を突破し、険しい山道を南進した。

そして9月1日に故郷・鹿児島に入った西郷軍は、いったんは市民の協力のもと態勢を立て直そうとしたが、膨大な政府軍兵力の攻勢に対抗するすべもなく、城山に立てこもった350名が政府軍4万に包囲されるという絶望的な状況にいたった。

城山に残る「西郷隆盛洞窟」史跡は、西郷が最後の5日間を過ごした場所とされる。9月24日早朝、政府軍の砲声がとどろき総攻撃が始まると、西郷は共に戦ってきた将校(桐野利秋・村田新八・別府晋介・池上四郎・辺見十郎太ら)とともに洞窟の西方に伸びる岩崎谷に向け、官軍の前線に飛び込むようにして山を駆け下りた。
西郷の一団に向けて官軍からは猛烈な射撃が浴びせられ、将校たちは次々に被弾、そして西郷自身も腹部と腿に弾を受けその場にうずくまってしまった。(→「西郷隆盛終焉の地」)

PHOTO

(岩崎谷から城山へ登っていくと、道路の右手に西郷洞窟がある)

 

 

(維新の立役者・西郷隆盛は、人生の最後の数日をこの小さな洞窟の中で過ごした。その胸に去来したものは何だったか)

 

(洞窟の前にある説明板)

(西南戦争の地図の部分)

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