幕末トラベラーズ

横浜の史跡

吉田橋
(よしだばし)

横浜市中区

横浜にできた外国人居留地に日本人の立ち入りを制限するため、神奈川宿方面からの入口にあたる吉田橋に関所を設け、これより内側(港側)を「関内(かんない)」と呼んだ。

吉田橋

横浜の開港に合わせて、東海道の宿場町・神奈川と横浜村を結ぶ「横浜道(よこはまみち)」が作られ、大岡川の支流・吉田川に吉田橋が架けられた。そして幕府は、外国人居住地域にみだりに日本人(とくに武士)を入れないよう、吉田橋に関所を設けて人の出入りを監視した。万一攘夷派によって外国人が殺されたりすれば一大事になるからである。実際、イギリス人3名が殺傷された生麦事件(文久2年(1862年))によって、薩英戦争が起こっている。関所はここ以外にも、川と堀割で区分された外国人居留地の出入り口すべてに設けられていった。

安政7年(1860年)に、横浜村は横浜町に改称され、関内は横浜町、太田町の2町となった。

この橋は最初木造だったが、交通量が多く壊れやすかったため、明治2年(1869年)にイギリスによる設計と鋼材を用いて、鉄製の橋に架け替えられた。長崎のくろがね橋と並ぶ、日本で最初期の鉄橋である。

PHOTO

(吉田橋関門(関所)跡。伊勢佐木町側から関内方向を向いている。関所を過ぎるとこの道は「馬車道」となって横浜港方面へと伸びて行く。もちろん馬車に乗って行き来していたのは外国人)

(関所から伊勢佐木町側(写真の奥行き方向)は関外と呼ばれた)

(碑のある場所からJR

(碑のそばにある説明板)

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