幕末トラベラーズ

江戸の史跡

一橋徳川家屋敷跡
(ひとつばしとくがわけやしきあと)

一橋徳川家屋敷跡
千代田区大手町1丁目

皇居の北端、平川門交差点の近くに、のち徳川15代将軍となる徳川七郎麻呂が養子に入った一橋徳川家の屋敷があった(徳川七郎麻呂 → 一橋慶喜 → 徳川慶喜)。碑がある場所には丸紅本社ビルが建っている。

一橋徳川家屋敷跡

一橋家は、徳川将軍家の血筋を保持するための家で、8代将軍・徳川吉宗の四男である徳川宗尹(むねただ)によって創始され、同じ性格をもつ田安家、清水家とともに御三卿とよばれた。将軍家に跡継ぎができなかった場合には、この御三卿(もしくは御三家)から将軍継嗣を出すのである。

攘夷派で「烈公」とも称された水戸徳川家・徳川斉昭(なりあき)の七男に生まれた徳川七郎麻呂(しちろうまろ)は、11歳のときに幕府の意向を受けて一橋家に養子に入り、一橋慶喜となった。

水戸徳川家は御三家とはいっても、他の御三家(紀伊徳川家、尾張徳川家)に比べると家格が一段落ち、将軍の継嗣は出せないという不文律があった。

そこで、徳川七郎麻呂の資質を高く買っていた12代将軍・徳川家慶(もしくは老中・阿部正弘)は、彼に将軍継嗣の資格をもたせるため、水戸徳川家から一橋家へ養子に出させたといわれている。

PHOTO

(丸紅本社ビルの前、白山通りに面して一橋徳川家屋敷跡の碑がたつ。右が平川門交差点)

 

(屋敷跡の碑と説明板)

 

(首都高速の陸橋の下が「一ツ橋」)

 

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