幕末トラベラーズ

江戸の史跡

伝馬町牢屋敷跡
(てんまちょうろうやしきあと)

東京都中央区日本橋小伝馬町

伝馬町牢屋敷は、慶長年間から明治8年まで270年にわたって数十万人の囚人を収容した。幕末期には吉田松陰、橋本左内、高野長英らも収容された(高野長英は脱獄)。現在跡地は、十思公園(じっしこうえん)となっている。

伝馬町牢屋敷跡

吉田松陰は、この伝馬町牢獄に2度収容されている。
一度目は安政元年(1854年)にペリーが再来した折り、下田から米国船に乗って密航しようとして失敗し、下田奉行所に自首してそのまま伝馬町送りになったときである。このときは半年ほどで出獄を許され、地元長州で蟄居の身となった。
松下村塾を開いて、高杉晋作や久坂玄瑞といった志士を育てたのはこのときである。

二度目は、井伊直弼が朝廷の勅許を得ずに日米修好通商条約を結んだことに憤激し、あからさまに幕府批判を展開したことを咎められたときである(安政の大獄)。安政6年(1859年)、幕府の命で江戸に呼び出された松陰は、取り調べの最中に、老中首座・間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺する計画をもっていたことを、役人から聞かれもしないのに進んで白状し、このために死罪が決定してしまった。

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(牢屋敷跡は現在、十思公園となっている。左側にある「時の鐘」に合わせて死刑囚が処刑されたという)

(十思公園前の説明板)

(松陰が処刑されるときに詠んだ辞世の歌「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」)

(「松陰先生終焉之地」碑)

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